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都立大OB・教員の作品集

卒業生の作品

作品紹介(教員編)

教授 青木茂

作 品 名 クイズ溝の口(リファイン建築)
竣 工 年 2008年
所 在 地 神奈川県川崎市
設計事務所 株式会社青木茂建築工房

築約40年を経過した物販ビルを飲食ビルに用途変更するとともに大規模な模様替えを行った。
結果として、現在の建築基準法に全てを合わせることができ、確認申請の提出を行って検査済み証を得ることが出来た。
新旧の写真のように、斜線制限がかかるため、既存建物をカットするなど、大胆な変更を行った。
構造は、一部解体による「軽量化」と耐震ブレースによる「補強」のバランスに注意した。
設備は、全て更新し、バックスペースにダクトとパイプスペースを集約し、将来的なテナント変更への対応を容易にしている。

クイズ溝の口(リファイン建築)
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教授 上野淳

作品名  稲城市立若葉台小学校
竣工年  1999年3月
所 在  稲城市若葉台
設 計  一色建築設計事務所
計画協力 上野淳

年に2〜3作程度,学校や病院の実際の設計プロジェクトにコンサルタントとして参画します. この作品はそのうちの最近のもので,多摩ニュータウンの新しい住区に建った小学校です. 子供のスケールに合わせた空間,均質的でないヒント性のあるスペース構成などをテーマにして取り組んだつもりです.

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教授 小林克弘

作品名  トトロ幼稚園
竣工年  1997年
所 在  神奈川県横浜市磯子区
設 計  小林克弘+デザインスタジオ

トトロ幼稚園(1997年)は,北大探検部出身の園長の「野外活動でたくましい 子を育てる」という教育方針をもつ. そうした元気な幼児の身体スケールにあった,建築自体が遊び場になるような空間をテーマとしている. 保育室は 巨大なジャングルジムであり,カクレンボ・スペースと称するアルコーブを備え, 宇宙船のような遊戯室は大階段や地下空間等を備えた,ゆったりとし た半楕円空間である.いずれも,幼児を喜ばせる空間を目指した.


写真:デザインスタジオ
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教授 深尾精一

作品名  繁柱の家
竣工年  1996年
所 在  東京都杉並区

この20年間,木造の講義で,「在来木造の柱一本の値段は三千円程度のものである. 節があれば不当なくらい安いものだ.」と喋っている内に,それなら柱をたくさん使った方が得に違いないと本気で考え始め, 自宅の増設に際し,4寸角の柱材を600本使うことにした. できあがった建築が「繁柱の家」であり,建築学会の作品選奨を受賞することができた. 講義というものは,学生よりむしろ教える側にとって勉強になるのであろう.

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教授 小泉雅生

作品名:千葉市美浜文化ホール・保健福祉センター
竣工年月:2007年2月
所在地:千葉県千葉市美浜区
設計事務所名:小泉アトリエ・C+A村井建築設計共同企業体

コンセプト:
2002年にプロポーザルコンペが行われ、その後実施に至ったものである。地区ホールと保健福祉センターを合築し、市民利用を重視したコンパクトなホールをふたつ設けることが求められた。
異なるふたつの施設を、利用主体と開館時間の区分によって立体的にゾーニングすることを提案した。1・3階を行政主体で開館時間が夕方までのゾーン、2・4階を市民利用で夜遅くまで開館するゾーンとして、一つの建物の中での諸室の再配置を試みた。地区ホールは150席の音楽ホールと350席の演劇を主体としたホールとして、市民が利用しやすいサイズとなっている。
保健福祉センターと地区ホールの諸室の間を縫うように、特徴的な天井・壁パターンを持つチューブ状の空間が伸びてゆく。部分的に外壁から空中に飛び出している。館内外に動きを生み出し、地区ホール利用者と保健福祉センター利用者との間で相互作用が発生することを意図している。

千葉市美浜文化ホール・保健福祉センター
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助教 猪熊純

作品名:ひとへやの森
竣工年月:2008年10月
所在地:東京都目黒区 ヒルサイドウエスト内
設計事務所名:成瀬・猪熊建築設計事務所

コンセプト:
これは、ワンルームにおける新しい住まいの提案をインスタレーションという形で実現したものです。
展覧会では約35平米の部屋の中に、 8本の木のような形をしたオブジェを配置して、落ち着いた場所や、少し開けた場所など、様々な場所を一つの部屋の中に生み出しました。また同時に、これによって生活にまつわるあらゆるものを吊り下げたり、根元に置いたりすることができます。
私達は、いつまでも整理された空間ではなく、全てが見えているのに、散らかっているように見えず、住んでいる人の個性や生活の仕方によって、部屋の風景が変化していく、活き活きとした建築に興味があります。今回の展覧会では、そういった変化する住まいの風景を実現しました。

ひとへやの森
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名誉教授 長倉康彦

作品名  目黒区立宮前小学校
竣工年  1985年3月
基本設計 日本建築学会学校建築委員会(主査:長倉康彦)
実施設計 アルコム

学校建築に沢山の作品を残されている長倉康彦名誉教授の代表作品です. 1955年に竣工した旧・宮前小学校は鉄骨のモデルスクールとして戦後の学校建築に一時代を画した名作ですが, 長倉先生はこの設計にも参画しておられます. その30年後,再び同じ学校の改築の設計を手がけられた訳ですが, 学校改革の方向性を示すオープンプランタイプの学校として生まれ変わりました. この意味で,長倉先生にとっても,戦後の学校建築史にとっても,記念碑的な作品といえます.(文:上野淳)


出典:建築文化1985.06
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名誉教授 島田良一

建築が使える基本のかたちが,直方体,球,円柱,角錐,円錐などに限られるのは, 工法,費用など,様々な理由があろうが,もっと変化した形を使ってもよいのではないかと考えている. この程度のかたちなら,今の生産技術,構造技 術などは軽くこなしてくれるのではないかと思う. このかたちは純粋に数学的に導かれた物であるから,その各部の数値は全部算出可能である. スケッチ・ブックに描いたボンヤリしたイメージ図ではないのである. 実際の作業は,パワー・マッキントッシュ上でマスマティカというソフトを利用して基本の形を作り, DSF形式に変換してストラータというソフトでテ クスチャを張るなどの3次元画像とし, レンダーリングしてピクト画像とし た物を,フォトショップで仕上げしている. ある理系の学生に見せたら,これはシュレージンガーの波動方程式を表しているといわれたが,悲しいかな,その意味が分からない. 私としては,三角関 数を組み合わせていろいろな形を模索している時,ふと思い付いた式でやったらできてしまったというだけである.

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作品紹介(卒業生編)

松岡恭子 (1990年修了)

作品名 三立テレビスタジオ増築
竣工年 1995年9月
所 在 台湾
設 計 マツオカ・ワン・アーキテクツ

台湾のプロジェクトである.都立大からニューヨークに渡り,福岡を経由して台北に移動したのだが, この作品を振り返ると本と図面に溢れた小林研究室に辿り着く. 八雲の小さな研究室で小林先生を囲み研究と設計に明け暮れた3年間は,歴史を遡り, 今その瞬間に向かい合い,未来への夢を描くことのできたなんと貴重な時間であったことだろう. 上京して開けた小林研究室の黄色い扉は,私にとってそれから続く世界への入口でもあった.


写真:新建築社
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佐々木龍郎 (1987年卒)

作品名 スマート南青山
竣工年 1997年
所 在 東京都港区
設 計 佐々木設計事務所

暗くジメジメした水まわり,細かく仕切られた内部空間,狭い廊下と巨大な扉, 低い天井と膨大な天井裏,埃まみれのバルコニー,設備配管で穴ぼこだらけの構造躯体等々,といった集合住宅の現状のすべて逆をいった. すべての水まわりは自然光に溢れている.ただそれだけなのだが,老夫婦,ディンクス,外人, 3人家族,未亡人,料理好きの脚本家,女優,皆ただそれだけを気に入っている. これぞ真のバリアフリー!と世紀末に自画自賛.

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熊倉洋介 (1986年卒)

作品名 NHK長野
竣工年 1997年6月
所 在 長野県長野市
設 計 みかんぐみ

今でもそうだと思うが,僕が学生の頃,都立大の建築学科は学年の境界がゆるやかで, 後輩に手伝ってもらったり,先輩に教えてもらう機会が多かった. 先輩の友人達にまじってスライド会に参加したり,卒業設計で後輩達と泊り込んで銭湯に行ったり,学科がひとつの文化系サークルみたいな感じでよかった. でも,よその事も知りたくなってきて雑誌の手伝いとかするようになり,他大学の人たちと友達になってぐっと視野が広がったと思う. 今やってる事務所(みかんぐみ)もその延長線上にあるが,これから異分野にも目を向けていきたいと考えてるところです.


写真:平賀 茂
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安井雅裕 (1986年卒)

作品名 南小倉病院
所 在 福岡県北九州市(計画中)
設 計 安井雅裕建築研究所

現在実施設計中の北九州市に建つ病院の計画です.医療福祉施設の実績が全くないためにゼロからの勉強となりますが, 病院をあくまでも人の居場所と考え,日々深夜まで格闘しています.僕の場合建築を学んだ場所は2つあるような気がします. 1つは言うまでもなく大学で,そこでは「建築的に」考える訓練をしたように思います.もう一つは旅でしょうか. 自分の脚で歩き自分の目で見てきた世界と人間の現実が僕の建築を考える起点になっていると思います. むしろ,多くの旅をしたからこそ建築という道を選んだのかも知れません.

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萩原 貢 (1985年卒)

作品名 旧門司関税
竣工年 1994年11月
所 在 福岡県北九州市
設 計 アプル総合計画事務所

旧門司関税は,明治45年妻木頼黄の指導で設計され,昭和初期まで使用されていたが,その後民間の倉庫として使われ荒廃していた. 北九州市では平成4年に門司港港湾地域の活性化のためこれを取得,大規模な改修工事を行い再生させた. 歴史的建物の再生作業は新築工事とは違い,既存の建物の空間に敬意を払いつつ, なおかつ新しいデザインを違和感無くオーバーラップさせなければならず,非常に難しい作業だったが,思い出深い作品となった.

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田辺芳生 (1984年修了)

作品名 はっと・とりっく
竣工年 1986年
所 在 茨城県茎崎町 
設 計 プライム建築都市研究所

大学時代に,友人たちと「プライム」という設計グループをつくり,コンペやスライド会などを頻繁に行っていました. 「はっと・とりっく」は当時そのグループで設計した作品です.何も知らないけどパワーだけはあるという時代でした.

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秋田雄二 (1982年修了) <故人>

作品名 Villa Terzetto
竣工年 1998年7月
所 在 神奈川県川崎市
設 計 秋田雄二総合計画研究所

建築学科50周年記念誌に向け,こんな仕事を選んでみました. 川崎市麻生区金程に建つ木造2階の重層長屋(3軒)です.この住宅の2階は都立大の方々に広く開放されています? 大学の授業を思い出して,ファサードを創造してみて下さい. さてこの住宅の施主はいったいだれでしょう.正解者先着3名様は,来年夏,「ヨーロッパ3週間の旅」に勝手に行って下さい.

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連 健夫 (1982年修了)

作品名 ツリーハウス(心と対話する建築を目指して)
竣工年 1999年1月
設 計 連健夫建築研究室

建築計画学の長倉研究室で大学院時代を過ごし,学校建築の研究に関わっていました. その後(株)巴組鐵工所で学校施設の設計を10年間した後,渡英しました. AAスクールで学生・教師として5年間過ごし1996年に帰国し,設計活動をしています. この作品は「心と対話する建築」を目指して,施主のコラージュ(切り貼り)を感じとる中で設計した住宅です. 施主と共に設計するプロセスに学校づくりと同じ面白さを感じています.

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冨加見正二郎 (1976年卒)

作品名 新宿区立区民健康村
竣工年 1995年3月
所 在 山梨県北巨摩群長坂町
設 計 日総建

本施設は,豊かな自然の中での様々なスポーツ体験や,施設内外での人や自然との出会い, 或いは地域の人々との交流によって,利用者の心身のリフレッシュを図ることを目的とする総合的余暇活動施設である. 学生時代よりアトリウムのある建築が好きであったが,この施設では4層吹き抜けのアトリウム空間を設け, 内外部空間の連続性,四方の山々への眺望の楽しみ,空間的な一体感と動線の分かりやすさ等を意図している.


写真:SS東京
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大場明夫 (1974年卒)

作品名 長浜の家
竣工年 1994年12月
所 在 滋賀県長浜市
設 計 央建築設計事務所

樹齢数百年の古木から名器といわれる琴が作られた.古代中国のさる皇帝がその音を聞きたいと想い, 全国から名手を呼び寄せたが誰一人として満足に弾ける者がいなかった. 最後に尋ね探した無名の奏者に爪弾かせたところ,その妙なる音に心が洗われる想いであった. 皇帝がその秘密を尋ねたところ奏者は,「己が想いを語らず,琴が生まれる数百年の刻を琴に自在に語ってもらった」と. 表現に作為はつきもの.住まい手の要求に答えた姿形が自然にかなう.無為自然の世界を技で創る. さてこれを聞いた琴はなんと奏でるであろうか.
作為と自然の狭間にゆれながら・・・.


出典:住宅建1995.11
写真:村松芳治
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間宮康昭 (1970年卒)

作品名 八戸地域地場産業振興センター
竣工年 1992年
所 在 青森県八戸市
設 計 INA 新建築研究所

1990年設計の八戸地域地場産業振興センターです.現事務所入社20年目で基本構想・設計を担当しました. 全国展開の組織事務所なので数度の転勤を経験しました.最初の9年間は主に東京に,次の12年は仙台,そして横浜に移って7年半になります. ありふれてますが,どのまちも住めば都でした.同センターはバブル崩壊の音を聞きつつ, 私の東北地方における,また自身が直接図面を描いた最後の作品でもあるので,とりわけ強い愛着があります.

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大川原一隆 (1969年卒)

作品名 新キャタピラー三菱(株)社宅 ルグランつきみ野
竣工年 1994年12月
所 在 神奈川県横浜市
設 計 清水建設設計本部

戸建ての住宅の広がる丘陵地に建設した低層3階建て,総戸数64戸の社宅です. 居住環境を重視して周辺環境との調和を図りました. また建物は画一化を避けた変化に富んだ空間構成として在来の社宅のイメージからの脱皮を目指しました. 集合住宅一筋で設計をして来ましたが商品としてのマンション作りと一味違う楽しみを見出した計画でした.

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藤木隆男 (1969年卒)

作品名  育英学院サレジオ小・中学校
竣工年  1993年3月
所 在  東京都小平市
設 計  藤木隆男建築研究所

30数年前,荒川でのボート部の早朝練習後の合宿所から深沢校舎に通いながら, 設計課題に取り組んでいた私の念頭には,長倉先生の計画学の講義で紹介されたイギリスやデンマークの小規模で平屋, クラスタータイプの小学校があった.当然課題はギルモントそっくりのものになったが, 30年後に何とか自分のものにしたのがこの作品である.


写真:北田英治
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田辺一之 (1967年卒)

作品名 オオサカ・ガーデンシティ
竣工年 2000年6月一期完成(一部完成済)
所 在 大阪府大阪市
設 計 日建設計

研究室以来,「計画&設計」,「研究&業績」を実行しようと考え「都市計画&建築・土木設計」の分野を選択し, その後も幸い時流に乗ることとなりました.「遊び・ゆとり・うるおい」など求め, 「みどり」の取り入れ,また「官民,民民,官官」のバリアフリーをめざしながら・・・. 作品は「オオサカ・ガーデンシティ」.JR大阪駅前西地区「西梅田地区開発」. メインプロムナード「ガーデンアベニュー」は沿道各社,公共が“みどり・はな”を飾っています.
建築よもやま話

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小島孝豊 (1966年卒)

作品名 東山温泉 不動滝旅館旗亭濫觴
竣工年 1993年3月
所 在 福島県会津若松市
設 計 IK都市・建築企画研究所

今年は,1999年.66年卒だから,丁度33年間,社会人としていきてきたことになります. 大学2年の頃から,将来は建築家として一本立ちしたいと決めていました. 良き先輩,仲間に囲まれて刺激を受けながら,私にとって都立大学での学生生活は充実していました. 当時未だ助教授として,桐敷先生,長倉先生は,学生たちにオーラを発していました. しかしながら,卒業後は,設計業務に埋没してしまったのではないかと,現在,反省しています. 昨年3月に,JIAの部会フォーラムとして史家の長谷川尭先生を招き 「”建築デザインとは何か”〜21世紀にむけて建築家は何を作るべきか」を催したのは,せめてもの罪滅ぼしでした. 20世紀後半だけでも,建築デザインの流れが活発にあった. 短いサイクルで泡のように消えてものも少なくない.私たちデザインのデザインの世界で生きるものとして, 専門分野を通じて文化の発展に貢献する責務があります.物事を正しく伝えるためにも,大学の建築教育は大切です. 建築デザインを担当する都立大学の教授陣は,多彩で充実しています.大いに期待しております.

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渡邊昭彦 (1966年卒)

作品名 豊橋市立東陵中学校
竣工年 1997年3月
所 在 愛知県豊橋市

これまで研究とともに東京家政学院大学新キャンパスを始め, 横浜女性フォーラム,東栄町林業センター(中部建築賞,作品選集掲載)等多くの設計にかかわってきたが, その度に思い出すのは都立大長倉研究室時代で,いわば私の設計の原点である. その時に学んだ「壁の無い学校」は,その後あらゆる建築・まちづくりにたいする「オープン化」のコンセプトとして, 今でも私自身が常に追い求めるコンセプトの一つとして生き続けている.

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清水芳子 (1965年卒)

作品名 N氏邸
竣工年 1981年12月
所 在 茨城県土浦市
設 計 清水芳子設計室

1981年の暮れに竣工した土浦の住宅.同世代の施主で周囲とは違った雰囲気を出してほしいという条件でした. 修士卒業後参加していた設計事務所をやめ5年,仕事と主婦業を両立させる私なりの方法が軌道に乗り張り切っていたころの作品です. 鋭角の屋根にそれがあらわれています.住宅の設計は大学や人から教えられることはごく一部,自分の生活経験を豊かにし, 努力して感性を磨きそれを基盤に施主はもちろんのこと自分も納得できるものを作ることが大切と思う.

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高田英夫 (1962年卒)

作品名 34床の私立病院の計画案
竣工年 2000年3月(予定)
所 在 千葉県野田市
設 計 高田英夫建築設計事務所

某超大手設計事務所及びゼネコン数社による指名コンペの結果,蟻がマンモスに勝って幸運にも採用されたもので,現在実施設計完了, 近々着工,来春竣工予定.思い返せば,まだ若かりし23才,卒業設計の時は目の前にルイス・カーンのペンシルバニア医学研究所の写真を貼り, 一生懸命その模倣に明け暮れていた私が,還暦を迎えた今日,60才で処女作を世に出した師のポートレイトを再び机の前に貼って, 生涯随一の作品を創るべく命を懸けて頑張っております.

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八木澤壯一 (1961年卒)

作品名 香川県三木・長尾葬祭場「しずかの里」
竣工年 1999年3月
所 在 香川県木田郡
設 計 八木澤壯一+NUK建築計画事務所+同栄社設計事務所

火葬場建築研究の一つの答である.テレビ出演で専門研究者と認められ町長専決での計画・設計の依頼. 日本での本来の姿を具現できたと思う.東讃岐富士の白山と特有の用水池, 谷筋の棚田を生かし“自然の中に溶け込んだ故里の景色に帰る”葬送の場. 2組のホールで葬送の一体,同時,独立化.連続する火葬炉扉の消去.地元庵治石の彫刻と癒合. “静御前”の“静謐”,住み処“里”から離れないことから「しずかの里」との命名.

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比嘉規雄 (1958年卒)

作品名 取手町立小文間小学校
竣工年 1964年3月
所 在 茨城県取手町
設 計 東京都立大学長倉研究室

長倉先生は大学の講義,研究をされるかたわら多くの学校,病院,個人の住宅等の設計の仕事に携わっておられました. 従って,設計スタッフの多くは研究室の卒業生でした. 昼間は各自,仕事があるので夜になると大学の近くの事務所が設計室となり沢山の建物が設計されました. 卒業して間もない我々にとって,この事は設計の力を早い時期に習得でき自信をもって昼間の設計業務に取り組めたという大きな効果がありました.


出典:建築文化1964.06
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本庄 創 (1954年卒)

作品名 コロンタゴ空港改築計画
竣工年 1995年(計画)
所 在 インドネシアコロンタゴ
設 計 本庄建築研究所

95年インドネシアの地方空港,コロンタゴで試みた計画案である. 老朽化したターミナルの改善であったが,構造亀裂が多く,立替用地もなく,既存ビルをまたぐようにテント膜をかけ, その後に内部改装をして,空港の供用を続けながら建物をスクラップ・アンド・ビルドするという構想を提案した. 空港当局に売り込み一部の人たちの賛同も得たが,当地ではテント膜は高くつき, また販売,保守拠点が国内にないとの理由で実現に至らず.
建築よもやま話

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高 雄二 (1953年卒)

作品名 亀井音故館
竣工年 1989年
所 在 山口県津和野町
設 計 アーキシステム設計研究所
津和野藩主亀井家に継承

された美術工芸品などの常設展示館.既存別邸の色調に合わせて石見瓦と漆喰で仕上げている. 森鴎外と同時代ベルリンに留学していた13代亀井茲明伯は建築家エンデ,ベックマンとも親交があった. ベルリンと云えば昨秋,「都市と住宅を考える会」の研修旅行中, 都立大開学当時,図学講師として教鞭をとっておられた水谷武彦先生の作品(オブジェ)をバウハウス資料館で発見し感無量.

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後藤 博 (1953年卒)

作品名 井の頭自然文化園管理事務所庁舎
竣工年 1984年
所 在 東京都武蔵野市
設 計 後藤博

卒業後構造設計をやっていた者が,多少抵抗して必要断面以上の部材を使った数少ない例です. これは1978年卒の寺崎史郎さんが設計を手伝い,現場を担当したもので彼にとって一番苦労した仕事と思います. また,その年の東京都の営繕部コンクールで表彰され,その選定の課長が1957年卒の西川恵六さんと多少古いが思い出が多いので選びました.
卒業生の多くの方のお陰で33年・感謝

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木村 彰 (1953年卒)

作品名 メトロポリタンプラザビル
竣工年 1992年
所 在 東京都豊島区
設 計 RB都市建築設計

このメトロポリタンプラ ザビルは,東武百貨店の大増床で当時日本一の百貨店とした計画です. 私が長年勤めた鉄道会館から分社してR B 都市建築設計となった時の最大のプロジェクトでした. 竣工しばらくしてバブルの崩壊が始まり複雑な感じですが, この頃JR出身の椎名信義氏(1966年卒)が京都駅の計画の会社側役員として工事費の参考に池袋に見えたことも思い出されます.

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